2016年01月05日

設定メモ/マルゴ・トアフ番外編的なものに向けて(3)


 西部公用語(セルバ・ティグ)には「孵卵器の子(ピティ・ウル)」という悪口がある。
 スラングのたぐいだ。地球でいうサノバビッチとおまえの母ちゃんでべそのちょうど真ん中くらいのニュアンスで、悪ガキどもが深く考えずに使う。
 孵化前に親を失い、孵卵器でどうにか育つトゥトゥも少なからずいることから、差別語としてたしなめる風潮も強いのだが、口の悪いやつというのはどこにでもいる。禁止されればされるほど言いたくなるのが子どもの性でもある。
 もともとトゥトゥはオーリォの季節につがいをつくり、ひと季節かけて交替で卵を温める。とはいえ現代においてトゥトゥの暮らしはせわしない。夫婦のどちらもがちょっと手が離せないときに、しばらくカイロを当ててくるんでおくこともあれば、一時的に施設の孵卵器に預けることもある。親が多忙を極める職業にあるか、片親ならばなおさらで、そういう家庭にはリースの孵卵器が置かれていたりする。
 この言葉が根強く残り、かつ良識ある人々から嫌われる原因として、親がみずからあたためた卵から生まれる雛に悪いやつはいない、という一種の偏見がトゥトゥにはある。実際のところ、犯罪件数と孵卵器使用の有無の相関は統計上の微々たる差にすぎない。誤差とまでは言わないが、極端な違いではないということなのだが。
 

 スー=クーは孵卵器の子だ。親は初めからいなかった。オーリォの旅路にあった若いカップルが盛り上がって、けれどすぐに恋から醒め、無責任にも卵を放置して宿から逃げた。昔からよくある話だが、よくあるからといって迷惑でないわけではない。
 南に戻るまで待ち切れずに卵を温め始めてしまったせっかちな恋人たちのために、長期逗留を目的としたそれ専用の安宿があるのだが、そうした宿の持ち主というのはだいたいこういう事態に慣れっこになっていて、たいていは悪態をつきながら、良心的であれば警察に通報して卵を押しつけるし、そうでなければ生ゴミの袋に押し込んでしまう。放置した結果、卵が冷えて死んでしまおうが、それを見捨てること自体は犯罪ではない。
 しかしたまたまスー=クーが捨てられたとき、その安宿の主人はその卵を孵して見る気になった。赤の他人、それも逃げた客の子を、わざわざ育てようという物好きは、そういるものではない。それを思えばスー=クーは幸運な卵だったといわざるを得ない。
 孵卵器で孵ったスー=クーは、宿の仕事をろくすっぽ手伝いもせずに高いところを飛ぶ練習に明け暮れる子どもだったが、彼の養父は寛容だった。というよりも、子どもを労働力としてあてにするような人間ではなかった。
 親に暖められたことのない子どもだったからかどうかはわからないが、スー=クーには変わった趣味があった。
 ふつうのトゥトゥの子らが、飛ぶ速さや優雅さを競い合うところで、彼は高さにこだわったのだ。
 トゥトゥはある程度の高さの空までしか上らない。それより上は寒すぎて翼が凍えてしまうし、なにより空気が薄く、ほんのちょっとバランスを崩しただけで墜落しかねない危うさがある。
 だからトゥトゥの子どもたちは、自らの体でここより高いところは危ないぞという高度を実に刻んで知っていて、一度危ない思いをしたら、二度とそこ以上の高さを目指そうとはしないものだ。
 スー=クーは違った。誰よりも高い空を目指して、無鉄砲な飛行を続けた。高く、高く。酸欠で気を失って墜落したことは一度や二度ではない。死にかけたこともある。それでも彼は、高みをめざすのをやめなかった。


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2015年01月11日

オーリォの話(仮題)



 ウィーウィーは嵐の夜に生まれた。
 いくら記憶力のよい東トートルーの氏族といっても、生まれたその日の記憶を持っているはずはないと皆は言うのだけれど、彼ははっきりと覚えている。それまで自分を包んでいた卵の殻をつつき割って、まだ粘液に包まれた嘴がはじめて外気に触れたその瞬間の感触も、そのあと彼が発したいささか覇気の無い産声、慣習からそのまま彼の名前となったその第一声が、建物を揺さぶるほどの嵐の吠え声に弱々しくかき消されそうになりながらも、かろうじて部屋の空気を震わせたことも、その貸し部屋が、貧しかった両親のおかげでいささか産屋にしては暖房が弱く、寒さのためになかなか彼の翼が開ききらなかったことも、よく覚えている。
 もっとも、彼の記憶に残っているのはそこまでで、次に古い記憶は二歳のとき、同い年のすべての子供たちに先駆けて空を飛ぶことを覚えたときの、危なっかしくよたよたと空を切る初飛行の誇らしさと、尾羽に受けた風の感触にまで飛ぶのだが。
 ウィーウィーは氏族きっての秀才だ。同世代の誰よりも達者に飛ぶし、弁も立つ。東部全域で語り継がれる昔話をいちばん多く諳んじているのも彼だし、夏を迎えてオーリォに旅立ったとき、いちばん遠くの土地まで飛んでいったのもやっぱり彼だった。両親は彼のことを誇りに思って周囲に自慢してまわり、彼は大人たちに誉められるたびに謙遜して冠羽を伏せては見せたものの、内心ではいつも得意になっていた。
 その分だけやっかみを受けることがなかったわけでもないけれど、そこは誇り高いトートルーの赤羽根族だ、よってたかってひとりの子供をいじめるような、姑息な真似をするやつはいなかった。
 負けまいとくってかかってくる相手は、むしろ彼にとっては好もしかった。ウィーウィー自身、負けん気は強かったから、競う相手がいたほうが自分が奮起できることを、自分でもよく知っていた。氏族のうちで彼の次に飛ぶのが早い同じ年の友人は、飛ぶことのほかではそれほど優秀ではなかったけれど、そのことをもってして、ひとつくらいは負けてやってもいいなどとは、彼は思わなかった。
 彼が優秀だったのは、生まれつきの素質ももちろん関係ないとは言わないけれど、むしろ貧しい家庭環境と小柄な体格というハンデに負けまいと、いつも人一倍の努力を重ねてきたことのほうが大きかった。


 そのウィーウィーはいま、冷たい岩の上に這いつくばっている。
 羽根はあちこちすり切れ、自慢の冠羽も半ばで折れて、ところどころにのぞく地肌が痛々しい。鉤爪がいくつも欠けて、後ろ脚からは血が滲んでいる。
 二度目のオーリォだった。北に向かって飛んでいるうちに、同じ気流に乗って風と戯れていたきれいな白い娘が、彼をからかうようにひらひらと尾羽をひらめかせた。夢中になってそれを追いかけるうちに、ウィーウィーは我を忘れた。前の季節に出会った女の子と、今年もおなじ場所で会う約束をしていたけれど、そんなこともすっかり頭から飛んでいた。オーリォは血を騒がせ、少年たちを愚かにさせる。氏族きっての秀才でさえ、例外ではなかった。
 北部グルーの、海からいきなりそそり立つような高い山々のあいだを縫って、気流にのって上下しながら飛ぶうちに、いきなり相手の姿を見失った。
 まだ成人したばかりだった去年の夏にも、氏族のほかの誰よりも遠い土地まで北上したウィーウィーだったが、気がつけばその去年の土地の上も、とっくに飛び越していた。北の大地を撫でるつめたい風が、かつてどの空でも経験したことのないほど気まぐれに踊ることをうすうす察したときには、もう遅かった。
 突風に煽られて、ウィーウィーは崖にたたきつけられた。そのまま断崖にしがみつくことも出来ずに、彼は風に流されて紙切れのようにひらひらと落ちた。海の上だった。凍るような冷たい波しぶきが、彼の翼をぬらした。それでもかろうじて、波間に呑まれる前に、彼は羽ばたきを思い出した。
 本格的な雷雨が襲いかかる前に、洞穴のなかに滑り込めたのは、奇跡と言ってもよかった。だがそこで、残された全ての体力が尽きた。オーリォの前に、うんと腹ごしらえする者もいる。だがウィーウィーは体が重くなることを嫌って、ほどほどの食事で済ませるようにしていた。脂肪をたくわえておかなければ長旅はできないが、体が重くなりすぎれば無駄なエネルギーを使う。
 胴体に巻き付けるポシェットも、一番小さくて薄いものにした。たいした荷は持ってゆけないが、それでよかった。ほかのやつらのように、わずかばかりの非常食を持って行くこともしなかった。自分がつぎの町までの距離を読み違えるようなへまをするとは思っていなかったからだ。
 彼の作戦は、ある意味では成功したと言えた。今年も誰よりも早く先陣をきって、彼は初夏の空を軽やかに飛んだ。途中までは同時に出立した友人たちと一緒だったが、気がついたときには彼らを遥か後ろに置きさって、まっしぐらに翔けていた。だがいまは、そのことが災いしていた。いつもオーリォのときにはしじゅう燃えるように熱い体の芯が、すっかり冷え切っていることに、ウィーウィーは気がついた。
 寒さに朦朧としかける意識の中で、何をやっているのだろうと、ウィーウィーは自問した。たしかに彼が追いかけてきたのは、きれいな女の子だった、故郷の町ではちょっと見ない、白く透き通るような羽の色をしていた。だが、だからといって何だというのだ。
 はじめて見かける、よく知りもしない女の尻を追いかけて、予備知識もない複雑な地形に飛びこんで、天候の変わる兆候も見落とす。いつもの彼だったら絶対に有り得ないようなことだ。
 ひとたび熱が去ってしまえば、それに振り回された己の愚かしさばかりがあとに残る。オーリォとはそういうものだ。


 生まれてくるときも嵐だった。洞穴の外を吹き荒れる、激しい風の音を遠くに聞きながら、ウィーウィーはそのことを思い出していた。あの風に煽られて軋んだ産屋、ここよりはもっと南の土地で、若い夫婦が夏をすごして子を産むためのその安い貸部屋の記憶、寒さに震えながらこの世界に産み落とされた、あの瞬間のことを。
 血は大して流れていなかったが、とにかく体が冷え切っていた。体はろくに持ち上がらず、かぎ爪の届く範囲に食べられそうなものは見当たらない。不幸中の幸いというべきか、体中を支配していた痛みは、嵐がおさまるのに合わせて、徐々に引いていった。


 嵐が去ったあとには、快晴がやってきた。時間の感覚はとっくにどこかに去っていたが、太陽の位置からすると、嵐はどうやらひと晩じゅう吹き荒れていたらしい。
 彼はかろうじて体をひきずって、洞穴の入り口ちかくまで這い寄った。視界にとびこんできた空は青く高く、これまでの長くはない人生の中で彼が見てきたどの空よりも澄みわたっていた。
 そのままぼんやりと、空を見ていた。あまりに空が青かったので、しまいにウィーウィーの目は眩んだが、彼は気にしなかった。嵐が去ってもまだ自分が生きていることが不思議だった。
 そのまま何度か、うつらうつらしては目を覚ましてということを、彼は繰り返した。痛みはまだ残っていたが、ひとごとのように遠かった。まるで慣れた自分の部屋で、昼寝でもしているかのようだった。
 だから、羽ばたきが近づいてくるのを、彼は聞いていない。
 何度目かに目が覚めたとき、彼は自分が夢を見ているのだと思った。そうでなかったら、さっきまでのオーリォの道行きと遭難とがすべて夢で、自分はまだ育った町を旅立ってはいなかったのだと。なぜなら彼の目の前には、いるはずのない人物の顔があったからだ。
 いま、彼の目の前にいるのは、友人のひとりだった。氏族のうちで彼のつぎに飛ぶのが早い、あの赤羽根族の若者だ。いつも彼を追い抜けないことを悔しがって、負けん気を発揮してくる相手、自分に刃向かってくることを喜びながらも、彼が心のどこかで見下してきた、その人物だった。
「どうして」
 夢ではないとようやく得心してから、ウィーウィーはそう言った。声を出してから、喉が痛んでいることに気がついた。さっきまで潮のように引いていた波が、それこそ潮が戻って押し寄せてくるように、ふたたび彼の体中を満たしはじめた。
「どうしてって、お前のようすがおかしかったから」
 困ったように、友人は言って、翼の先でそっと彼の傷のようすを探った。それからほっとしたように、折れてはいないようだなとつぶやいた。
 オーリォ用の軽装にしては、相手の身につけている荷物が多いことに、ウィーウィーは気がついた。彼の視線に気がついたのか、友人はちょっと冠羽を揺らして、「お前を見失ったあたりの近くで聞きまわったら、それらしいやつを見たっていう女の子がいたから」と言い訳のように付け足した。
 嵐が収まるのを待って、このあたりを飛んで探しまわっていたのだと、友人は言った。それから彼に、非常食の入った袋を、何でもないふうに差し出した。翼さえ折れていないのならば、食べて眠ればどうにか飛べるようになるだろうと、そんなことを言いそえて。
 ウィーウィーは一言もなく、相手の差し出した食べ物を受け取った。それからいっとき黙りこくって、その袋を見つめていた。自分のかぎ爪が震えていることに、彼は気がついた。
 このとき彼は生まれてはじめて、心の底から、誰かに負けたと思った。それから、そんなふうに思った自分の驕りに、それが傲慢だということに、ようやくのことで思い当たった。
 食べられそうにないのかと、友人が心配そうに聞いてくるのに首を振って、彼はうつむいた。それから長い時をかけて、ようやくその口を開き、中に入っていた栄養価の高い非常食を、おそるおそる、一口ずつ、噛みしめた。自分の恥と思い上がりとを、じっくりと咀嚼して飲み下すように。



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即興小説ミニイベントにて(制限時間90分……から45分オーバー)

テーマ:「誕生」
任意お題:「ハズレくじ」「なめくじ」「乳首」「嵐」
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2014年12月21日

テーマ「ピリオド」 縛り「寒さについての描写を入れる」 制限60分


 二十七歳の誕生日を三日後に控えて、彼女にふられた。クリスマスイブの前々日だった。
 誰だこんな日に産んだのは、とふるさとの母親にせんのない文句をつけたくなるけれど、ともかく毎日の仕事はあるのだし、貯金はない。貯金がないからふられたのだと考えるのは、いくらなんでも虚しすぎるので、そこからは目を必死に逸らしている。
 何が悪かったのか。考え出してはくよくよとして、もう考えるまいと頭を振って、だけどそんなことができるはずもない。
 間が悪いことに、普段はぎちぎちに詰め込んでいるシフトも、イブの日は空けていた。先輩に必死で頼み込んで、厭味をいわれながら手を合わせて。その結果カップルだらけの雑踏を、顔を上げないでひたすら歩いている。
 本当だったら今ごろデートのはずだった。予約していたレストランはさすがにキャンセルしたが、プレゼントに取り寄せたペンダントはいまさら返品とも言い出せなくて、結局わざわざ休みなのに出かけて受け取ってきた。カップルだらけの街中をとぼとぼ歩きながら。営業スマイル満面の店員の顔が、まともに見られなかった。何をやっているんだか。
 こうなってくると赤と緑の、いかにもクリスマスらしい包装紙の柄まで憎たらしい。よっぽどそこの川に投げ捨てようかと思ったが、なけなしの貯金をはたいたことが頭の隅をよぎって、捨てきれなかった。彼女への未練から手放せないんじゃなくて、金額にひきずられてというところが、また我ながらみじめったらしくてかなわない。
 どん底だ。自分の白くなった息だけを見つめながら、口の中でくりかえしている。いやもっとどん底の人だっているんだろうけど。
 たとえばその通りの先の公園にゆけば、この、クリスマスイブの雪のちらつく夜に、段ボールと新聞紙をひっかぶっているおっさんが二人いるのを知っている。昨日から北のほうでは大雪で、家が潰れた人がいるのも知っている。彼女に振られてイブにひとり、それくらいで何がどん底だと、口の中で呟いてみても、やっぱりむなしい。人の不幸と引き合いにして自分の情けなさをごまかすこと、の白々しさ。

 そういう理屈っぽいところがだめなんじゃないのと、姉の声が耳の中に響いたような気がした。もちろん、本物の姉じゃない。大学卒業と同時にひとり暮らしをはじめて四年にもなるのに、ことあるごとに、何かうまくいかないとそのたびに、姉から呆れ罵られるような気がする。
 理屈っぽくて面倒くさい。気むずかしい。よく言われる。ネガティブ。なんでも形から入ろうとする。何を考えているのかわからない。
 ああ。もう。

 友達の紹介だった。つきあって一年半。なんでこんな可愛い子なのに俺みたいなのにOKしてくれたんかなとか、単純に舞い上がっていられたのは最初の三ヶ月くらいで、まあ、そのうちふられるんじゃないかというのはずっと頭の隅にありはしたのだ。だけどいざそうなると、何が悪かったんだろうなんて考えている。
 二十七歳アルバイト貯金無し、ついでに根暗で理屈っぽい。そら見限られてもしかたない。貯金もないのに無理をしてクリスマスにいい店を予約とか、自分は飲めないくせにワインの美味しい店をネットで調べてみたりとか、そういう見栄っ張りなところがだめなんだろうかとか、いやこうやってくよくよする性格がだよとか、次から次に、駄目だった理由なら百でも浮かぶ。
 自分だって自分のことが面倒くさくてしょうがないのに、他人からしたらもっと面倒くさいだろうとか。
 貯金がないからやけ酒に逃げるわけにもいかない。そもそもほとんど飲めないし。アルコールに弱い、なんていうちっぽけな弱点まで、こんな気分のときにはひどく情けないことのような気がしてくる。
 いつかふられることを、頭の隅で想定してはいたけれど、具体的に最近そういう前触れがあったわけでもないし、まさかこんなタイミングでなんて、思いもしていなかった。それともあったのかな。前触れ。俺が鈍くて気づかなかっただけなのか。
 新人がどんどん辞めていくもんだから、ここんとこシフトをぎゅうぎゅうに詰め込んで、深夜までのときも多かったから、ラインもメールも反応遅いっていうか、まあ正直いえばほったらかしがちだった。文章を打つのが苦手というのもあって、バイトで疲れてるからっていうのはむしろ言い訳で。会うのもいつもこっちの都合に合わせてもらって、そういうところかな、だけどこの年になったら男なんか皆そういうもんだろう。一日中ずっと彼女のことばっかり考えてられるような男がいるとしたら、そんなんヒモか結婚詐欺師だ。
 風が強くて、頬が痛い。川沿いだからなおさらだ。アパートまでの道が遠くて、もうなんかいっそそのへんに座り込んで凍え死にしたいような気がする。いやべつに死にたくはない。
 昨日まではともかくシフトがぎゅうぎゅう詰まっていたから、働いてる間はそんなに考えないでいられた。たとえカップル客が手をつなぎながら来店しても、仕事中ならわりきってスイッチオフにできる。今日は逃げ場がない。
 スマホをいじって、彼女の番号を呼び出して、かけようかどうか迷う振りだけして、やめる。別れ話を切り出されたときのトーンを思えば、やり直せるかもなんて思えもしない。怒っているとか、寂しそうとか、なにかそういうのがあればよかった。彼女の最後のせりふは、もうとっくに決めていたことを通達する声だった。まだ耳に残ってる。もう会わない。じゃあね。
 それでも何かひと言くらい、まだ言い忘れてることがあるような気がする。だけどたとえば掛けて、相手が取ってくれたとして、今日はクリスマスイブの夕方だ、電話の向こうに新しい男の気配でもあったら、立ち直れる気がしない。いや、そもそもそんな状況だったら電話に出るわけないか。っていうかいっそ二股かけられてたんだったらすっきりするかも。俺が悪いんじゃなかったって。
 するわけないか。
 一回だけ電話かけて、出なかったら諦めようか。
 だけどいざ発信しようとしても、何も言うことなんか思いつかない。捨て台詞でもなくて未練がましい言い訳でもなくて自分に酔ってもいなくて、口に出したら気持ちがすっきりして後腐れなく忘れられるような、そんな便利な言葉は。どこにも転がっていない。
 そこまで考えてから、自分が探していた言葉が、気持ちに区切りをつけるためのものなのだということに、遅れて気がついた。
 やり直したいとか許してもらいたいとか。たぶん俺は思ってない。みっともなかったのをなんとかちょっと挽回したいとか、もやもやするのを振り払ってすっきりしたいとか、そんなんばっかりだ。
 まあ、そら、フラれるわ。
 本日何度目かの溜め息をついて、ようやく顔を上げた。カップルだらけのイルミネーションの中を歩くのも辛かったけれど、アパート近くの閑散とした川べりの寒々しさは、もっと痛い。
 給料日前で財布は薄いけれど、コンビニに寄って、残った有り金はたいてビールを買っていこうと決意する。飲めないやけ酒でも飲んで、ひとりで祝ってやろうじゃないか。二十七歳おめでとう、俺。

ラベル:お題小説 即興
posted by HAL.A at 17:33| ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

落書き 万年筆に恋をする話

 その人の手にある万年筆を見た瞬間、わたしはいっぺんに参ってしまったのだった。それまで万年筆なんて古くさいというか、おじさんたちの趣味のアイテムだとしか思っていなかったし、実際、彼の使っていたそのペンは、真っ黒で飾り気がなくて、というか正直ださい、地味なデザインのものだった。
 なのに彼がそれを手にして、黒革の手帳に品の良いきちっとした字で予定を書き入れていく、その一連の動作を見ているうちに、わたしは、そう、まるで恋にでも落ちるように、いっぺんにのめりこんでしまったのだった。
 それが欲しい、と正直に、わたしは申告した。彼はきょとんとして、自分の手のなかの品物を見下ろした。使いかけの手帳なんかもらったって仕方が無いということに気がつくのに二秒半。それからふっと微笑して、
「この万年筆のこと?」
 と言った。
 わたしがうなずくと、何がそんなに可笑しいのか、彼はくすくす忍び笑いを漏らしてから、「とんだ口説き文句だね」と囁いた。今度はわたしがきょとんとする番だった。「口説き文句?」
 彼は小さくうなずいて、笑い混じりに説明した。「万年筆ってね、長く使っていると、だんだん持ち主の手の癖に合わせて変わっていくんだよ。その人の手にだけ、ぴったり合う道具になるんだ」
 ふうん、とわかるようなわからないような気分のままでうなずくと、彼は目尻に笑いの気配を残したまま、説明を足した。「自分が長く使っていた万年筆を人に譲るっていうのはね、だから、とても特別なことなんだ」
 何もそんなに大それたことを言ったつもりはなかったので、わたしはちょっとたじろいだ。そのときはまさか、たかがペン一本がそんなに高級なものだとは想像もしていなかったし(後でネットで調べたら、彼の万年筆はなんと七万円もする品だった)、それにわたしは彼を口説きたかったわけではなかった。わたしはただその万年筆が、ほしかっただけなのだ。
 だけど、そういうことならいいやと、すぐに気持ちを切りかえることもできなかった。何せわたしはそのペンに、恋をしていたのだから。その、地味で不格好でおじさんくさい、すりきずのいくつも入った古い万年筆に。
 その未練が伝わったのだろう、彼はふと小さく笑んで(それまでの面白がるような笑い方とは、その表情はどこか違っていた。どこがどうと訊かれると、言葉に詰まってしまうのだけれど)、ごくさりげない仕草でペンを回して、わたしに差し出した。
 くれるの、という目を、わたしはしていたのだと思う。彼はうなずかず、手帳の後ろのほうの真っ白なページを開いて、
「書いてごらん」
 そう笑った。
 わたしはおっかなびっくりキャップを回し、そのインクに汚れた金色のペン先を、そっと紙の上にすべらせてみた。インクは掠れ、ぎぎっと音がして、なんだかぎこちなく、しゃっちょこばった、不格好な文字がそこに残された。彼があんなになめらかに、きっちりとした字を書いたのと、同じ道具なのに。
「書きにくい」
 だまされたような気持ちでつぶやくと、彼は声を立てて笑った。こうなるのははじめからわかっていた、という顔だった。わたしは大人しくキャップを閉め、彼の手にそのおじさん臭い、気むずかし屋のペンを返した。
 もし書きやすいって言ったらくれるつもりだったの、とあとから訊くと、彼はどうかなと首をかしげながら笑った。「そのつもりだったけれど、どうかな。惜しくなって、やっぱりやめたかもしれない」
 仕方なかった。わたしはあの万年筆に、不本意ながら恋をしたけれど、向こうの方ではわたしを相手にしてはくれなかった。人間どうしのあいだでもよくあることだ。しかたのないことだったのだ。
posted by HAL.A at 23:22| ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月21日

リハビリのための落書き断片(5)

 剣だけがよすがだった。
 もう何年ものあいだ、誰かの殺されるところにゆきあわぬ日のほうが珍しかった。はじめのうちは耳をふさいで怯えた断末魔の悲鳴も、いつしかすっかり聞き慣れて、もはや耳が自ずと意識から閉めだすようになっていた。たまに気がついても、ああまたかと思うばかりで、心はそよとも動きはしない。だが不思議なもので、そのような状況にあってさえ、今夜路地に死体になって転がっているのが自分かもしれぬとは、人は思わぬものらしかった。
 彼に一振りの古びた剣を預けたとき、もう記憶の中でおぼろげな影でしかないその人がどのような表情をしていたものか、この頃はもはや思い出すこともできない。受け取ったそのときには重すぎ、いかにも手にあまるようだった短剣は、いつしか手にしっくりとなじみ、近頃ではそれを振っている間には、手足の一部のように感じられる。それだというのにいざ戦場を離れ、夜の闇に怯えながら布団の中に潜り込むときには、刀身は確かな存在感を持って、彼を励ました。その刃が、己の手が、血に塗れていることに恐怖だの罪悪感だのといった感情を覚えるような段階は、とっくに通り過ぎて久しかった。ここでは人を殺すことと生きることは、不可分だった。獣は生き延びることをためらわない。
 だが稀に、そう、今夜のように星のみょうに明るい晩などには、ふいに心が彼自身を裏切るかのように、十年も昔の記憶を前触れなくつきつけてきて、生きぎたない己の浅ましい姿を眼前につきつけてくるときがある。
 いま彼の前で膝を抱える少女は、美しかった。愛らしいというのとは違う。怯えるように肩を縮め、己のしろい膝を抱いて、彼のことをちらちらと見上げながら、目が合えば何をされるかわからないとでも言いたげに慌てて顔を伏せるこの少女は、そう、ほかにどう言いようもなく美しかったのだ。丁寧に梳かれた金髪は、ほんの一日か二日前には洗ったばかりなのだろうという輝きを残していたし、それは見るからに上等とわかる衣服も同じだった。見た限り体のどこかに欠損があるようすもなく、目立った傷跡もない。この獣ばかりが食い合いながら跋扈する戦乱の中で、美しいままでいるというそのことが、どれほど罪深いことなのか、少女に理解している様子はなかった。誰かに護られてきたのだ。善意という真綿で丁寧にくるまれ、庇護され続けてきたからこそ、手を血に汚すこともなければ、己が血を流すこともなく、清潔な身なりをして怯えた目をしていられるのに違いなかった。
 だがそういう少女を軽蔑しこそすれ、彼の胸に少女を憎むような思いはちらりとも湧いてこなかった。そうするには少女は幼すぎた。
posted by HAL.A at 23:41| ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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